藤馬先生から

龍のおとし子 第20号

藤馬先生から2009年度第23回総会開催にあたってのご挨拶

藤馬会の会員の皆さん、お変りなく、お元気で各方面でご活躍のことと存じます。早いもので、また総会を迎え、懐かしい京都、母校同志社にほど近い、ここブライトンホテルで愉しい集いの一刻をもたせて頂くことができました。育児やご子弟の進学、その他ご家庭のご多忙や、あるいはお仕事の都合など、そして遠隔の地ゆえ思いを遠く馳せて下さっている方々etc.etc.本日、ここにお越し頂けなかった会員の皆さんを含めて、常日頃からなにかと藤馬会の為めお力添え、ご協力を賜ったり、あるいは私宛てにご近況などをお知らせ下さるお便りを頂戴しておりますことに、改めて心から篤くお禮を申し上げます。

思い起こせば1968年(昭和43年)春、母校に迎えて頂いて以来40年が経過しました。その間、ゼミナールも30期を数え、そこで出会った皆さんお一人お一人と忘れ得ない貴重な思い出をもっています。皆さんにとっても、卒業年次こそ違え、同じゼミナールでいい終生の友と出会い、青春を過ごして頂いたこの”縁(えにし)”を大切に感じて頂いていることと思います。

私の記憶にも、勿論濃淡・強弱それぞれあることは避けられませんが、しかし、この藤馬会のご案内を差し上げ、いろいろと近況を添えてリスポンスを頂いている方々のお顔やご在学当時の思い出、ゼミ旅行での出来事などは鮮明なものがあります。『龍のおとし子』のなかでもしばしば述べていますとおり、”遇無空過者”(遇うて空しう過ぐるものなし)を信条としています私にとって、こうして本日も第23回という長寿の会合をもたせて頂いたことは創立当初からの歴代会長はじめ役員の皆さんの献身的なご尽力と、つねに変らない会員の皆様の温かいお力添え、ご援助の賜物と存じております。私の深い感謝の気持をどうぞお汲みとりください。そして、益々のご健勝、ご多幸を祈念いたしております。

さて、つい先日(8月30日)、衆議院議員の総選挙が実施されました。結果はご承知のとおり。ようやく少し世情は静かになり、各政党や立候補者の、例のごとくの、票集めのための狂騒劇(本当はもっと選挙活動を正当に評価すべきことは百も承知ですが、残念乍ら…)も終わりました。国民は彼らよりもっと遥かに冷静に判断をしました。

それにつけても”国会議員=政治家”といえば、いつまで経っても変り栄えのしないイメージと実体の不様(ぶざま)さでしょう。厚顔無恥といってしまうと少し言い過ぎかも知れませんが…。かつて『龍のおとし子』でも書きましたが、”憲政の神様””憲政の鬼”ともいわれた尾崎咢堂(行雄)が「わが国に表決堂ありて、議事堂なし」(大正3年)と悲憤慷慨し。「美事なる此議事堂にふさはしき議員を得るハ何時の代ならむ」(昭和11年)と詠嘆しました(『龍のおとし子』№18)が、彼が今日のわが政情と議員の国会活動を目前にしたらなんと言うでしょう。

歌人・与謝野晶子も、歌集『舞ごろも』(大正6年)のなかで、「駄獣の群」と題して次のように当時の衆議院議員を痛烈に批判しています。

「あはれ、此国の怖るべく、且つ醜き議会の心理を知らずして、衆議院の建物を見上ぐる勿れ。禍なるかな、此処に入る者は悉く変性す。民衆を代表せずして、私党を樹(た)て、人類の愛を思はずして、動物的利己を計り、公論代りに私語と怒号と罵声を交換す」

晶子はまた、日露戦争に従軍して旅順口包囲軍の中にある実弟を案じ、あの有名な詩を詠んでいます。

「…ああ、をとうとよ、君を泣く…君死にたまうことなかれ。すめらみことは戦ひに、おほみずからは出でませね、かたみに人の血を流し、獣(けもの)の道に死ねよとは、死ぬるを人のほまれとは、大みこころの深ければ、もとよりいかで思(おぼ)されむ」

これが明治37年9月の『明星』に発表されたとき、あたかも日露戦争真っ最中の決戦のときであった「天皇はみずから戦争に行かないのに…」と嘆くくだりが、最も危険で不敬極まりない思想であるとして俄然猛烈な非難・攻撃を浴びました。詩人・大町桂月は雑誌『太陽』(10月号)で、早速「国家観念をないがしろにしたる危険なる思想の発現なり…」と憤激しています。

たとえ、この歌が、10か月も添わない新婚で、妊娠中の若妻を残して出征した実弟と、義妹のことを思っての晶子の女性としての真情からにあるにせよ、当時の国粋主義、軍国主義狂乱の時代にあって、晶子のやみ難い心情を率直に吐露する勇気とその生きざまに私は深い共感と敬服の念を禁じ得ません。彼女のこの「駄獣の群」一字一句がその侭21世紀の今日のわが国の議会政治の現実にそっくり当てはまることの口惜しさ。夫である与謝野鉄幹(寛)も「老いたるは皆かしこけり。この国に身を殺すもの、すべて若人」(『龍のおとし子』№11)ときびしく詠んでいます。

皆さんは、エリッヒ・マリア・レマルクが第一次世界大戦を背景として書いた反戦思想濃厚な小説『西部戦線異状なし』(1929年)を読まれたことがあるでしょうか。いまでは小説よりも同名の映画(1930年・アカデミー賞受賞)を連想される方が多いのではと思います。

国のため勇躍戦場に赴いたドイツの青年たちが体験した戦争の悲惨さ、空しさ、むごさ、そして恐るべき不安と恐怖を描写して余りあるこの名作の心えぐるようなラストシーンで「老人が戦争を始め、若者が戦争で死んだ!」という独白が出てきます。

鉄幹が、そしてレマルクがいいます”老人”、つまり世智にたけた金持ち、富者や権力をもつものだけが小賢しく生き、”若人”つまり貧しく、力弱く、真剣に生きる若人や、文字通り心身ともに老齢の人達だけが犠牲になる世の中であってはなりません。いかに各政党が”マニフェスト”で美辞麗句をならべ立てようとも、戦争の脅威のない平和な社会でなければ空理空論です。

「国家権力を制限することによって、国民の基本的な諸権利~-平和に豊かに、健康に生きる権利~を確保する」ことを目的として誕生した日本国憲法を改変しようとする意図をもつ政党は、自民・公明両党はもちろんのこと、右から左(旧自民党系から旧社会党系)までが混在しているといわれている政党、”政権交代”という熱狂的なフレーズのもとでいまは改憲問題には一切言及を避けている感のある民主党にいたる迄、憲法第九条の平和主義を換骨奪胎するような憲法改正のうごきに対して私達は、勇気あるきびしい批判と監視の目を失ってはならないと考えています。

政権交代が実現してもその政権を担当する政党の体質が問題です。

かつて、小沢一郎氏は「日本国憲法改正私案」(文芸春秋1999年9月号、94ページ以下)を、そして鳩山由紀夫氏は「自衛隊を軍隊と認めよ」(文芸春秋1999年20月号、262ページ以下)と、その見解を発表しています。さらに、この度の総選挙に際して朝日新聞社と東大が行った共同調査によると、民主党の元代表で現副代表である前原誠司氏(京都2区選出)らに対する京都1区から6区までのすべての立候補者への「政策・政治スタンス」を問うアンケート、「憲法政治」「防衛力の強化」「集団的自衛権の行使」および「他国の攻撃が予想されれば先制攻撃も…」のいずれの質問項目に対しても前原氏は”賛成”と回答しています(2009年8月28日朝日新聞)。

私は決して一切の憲法改正に反対しているわけではありません。日本国憲法にもちゃんと改正手続が規定されているわけですから、日本国憲法の3大基本原理(平和主義、国民主権主義、基本的人権の尊重)を堅持しながら、内容に応じて個別的に人権の拡大の方向への改憲(たとえば環境権条項の挿入)の是非を論じるべきであると考えるのです。

戦争こそ最大の人権侵害、環境破壊の原因なのです。

                                    (2009年 9月 5日)